明日1月3日の誕生日で90歳になる父。卆寿ー卒寿のお祝いで、みんなで集まりました。ひ孫までの4世代、総勢16人。
母がまとめてきたアルバムをみんなで回し見しながら会が進んでいきました。
子どもらからのスピーチで、私、妹、弟と話していくうちに、ちゃんとその内容をひろいながら父がする話には、初めて聞く話がたくさんありました。
初めてのフルオーケストラ
実家では、毎朝、ラジオからクラシック音楽が流れていたと私が話すと、父はその話から懐かしく思い出したことがあるらしく、語り始めました。
高校生の時から、自宅にあった古いバイオリン🎻を独学で弾いていたという父。仕事に就いてからお金を出して、オーケストラの演奏会に行ったのだとか。
「演奏前のチューニングで、数々の楽器の音が重なり合って響くのを聞いて、感動した。ホール全体に響き渡る音を聞いて自然と涙が出た」と、その時のことを語りながら感動を思い出して涙が止められない父。
父が泣く姿をそもそも見たことがないのに、何十年も前の感動を語りながら泣く父を見て、私ももらい泣きしてしまいました。
父のスピーチ
会の最後に父のスピーチがありました。これまでの90年のベスト3。
- 母(私の母)との出会いがあったこと。
- 原爆一発で何十万もの人が一度に亡くなったことに衝撃を受けたこと。
- 母(私の祖母)を泣かせたこと。
母との出会い
父の勤務していた病院に付属した看護学校に母が入学したのがそもそもの出会い。その後母が配属されたのは遠く離れた病院で、そこから始まった2人の文通からの婚約、結婚という流れだそう。
これまでの幸せがあったのは母のおかげと、素直な気持ちを述べてくれました。
2発の原爆
終戦を13才で迎えた父。終戦間際に落とされた原爆で余りに多くの命がなくなったことは、今でも涙が出るほどの衝撃だったようです。
職業軍人の父、志願して戦争に出向いた兄、心配してやまない母を見てきた父。戦後生まれの世代の私達からは如何とも想像し難い思い出なのでしょう。
1発で…と涙ながらに語る父。今まで戦争のことなど語らなかった父の胸の内を初めて知ることになりました。
戦争🪖と進路
父が中学校を卒業したら行くと決めていた海軍飛行予科練習生とは、大日本帝国海軍における航空兵養成制度の一つだそうです。
進路について母に話したら「夫と次男を戦争に出したのに、これ以上家族を戦争に取られたくない」と泣きながら止められ、諦めた話をしてくれました。
母に止められ、進路を変えたものの後から振り返ると、戦時中の教育とはいえ、13才の子が戦争に行くことを当たり前に思っていたなんて…。と父が語る。教育に携わる者として、身につまされるものがありました。
できるうちに親孝行
人生100年と言う私たちに「あと10年も無理無理!」って父は言っていました。目も耳も弱り、腰が痛み、免許を返納すると決めた父。
なんでもできて、頼りになって、大好きだったカッコいいパパはすっかり歳を取りました。終活と言う母を傍に、すっかり気弱にもなりました。
せいぜい親孝行しようと思い、今日が暮れていきました。