コロナ禍の式
コロナ禍なので、在校生はなし、来賓なしで行われた今年の卒業式。4月から本当に大変な思いをしてきた子どもたちでしたが、晴々といい顔をして卒業していきました。
結局、歌も呼びかけもマスクをしたまま。「マスクを外すか否かは自己判断で」と言われたのですが、誰一人外しませんでした。
もうマスクのない素顔は見せられないようになってしまったのかな?ビデオにも写真にもマスクの顔って寂しいよね。
返事の声も、呼びかけの声も小さくて、歌こそよくハモっていたけれどやっぱり声量はなく、泣く子は少なく、感動したけど泣けなく終わりました。
卒業式そのものより、その後の写真撮影に盛り上がっていたように見えました。

舞台を飾った大きな花瓶に生けられた花は、式後にはすぐ外され、もらわれていきます。お祝いの花々は大輪のユリ、カラーなどなど。今度は我が家を飾ってくれます。また丁寧にお世話して全ての花を咲かせます。
『あたりまえ』の詩
はなむけの言葉に託されたもの。それは当たり前のありがたさを語ったものでした。コロナ禍で当たり前だったことが全て持っていかれた今年。当たり前でない苦しみがそこここにありました。思い出して泣きそうになりました。
今年、大変なことばかりのなか、職場内の雰囲気はとても良く、いろいろあっても毎日笑っていられました。幸せでした。その当たり前が4月からはないと思うとただただ寂しいばかりです。
それでも人が流れ時が流れれば、また違う温かさと楽しさが来ることでしょう。変化を望んで叶ったからには、この先をより良いものにしなくてはなりません。別れの悲しみにしばし浸ったならば、前を向いて頑張ります。