2020.11.24脊柱管狭窄症手術当日

手術したのが11月24日(火)。朝忙しくて何も書けず。当然、戻ってからも書くのは無理。

11月25日(水)、昨夕手術室から生還したものの痛みがひどくて呼吸さえ辛い。今日は書けない…。覚えているつもりのことも忘れていってしまいそう。

手術前(11月29日(日)追記)

  • 朝の検温、血圧測定をする。
  • 6:28。麻酔医が病室にあいさつに来た。あまりにも早いことに驚きながらも、失礼のない挨拶をした。
  • 7:40。点滴開始。検査入院の時もそうだったが、右腕で2回失敗。看護師が交替して、針を細いものに替えて、左手の甲に針を入れる。
  • 8:25。看護師からの説明。手術室へ持ち込む荷物と、術後ICUへ持ち込む荷物とを分ける。コルセットの受け取りについて旦那様に説明。11/23(月)が勤労感謝の日で休みだったため、装具技工士と会えず。仮装着もなく、術後の練習もなく、不安要素の一つとなった。
  • 8:45。主治医(執刀医)とあいさつ。飄々としていてくださることがありがたい。
  • 8:55。手術室へ移動。旦那様としばしの別れ。怖い、不安で、顔がまともに見られなかったように思う。何気に送り出してくれるのも愛だよね。
  • 前室で手術衣に着替えてヘアキャップを被る。小さなベンチのような台にあおむけに寝る。バネが強いカートで、乗った瞬間沈み込んで驚く。
  • 「点滴から麻酔が入ります。痛かったり、熱かったりします」本当だ、来た来た、手の甲から腕へ熱感が上がってくる。そうだ、カウントするんだった。1,2,3・・・。天井が真っ白で眩しくて目が痛い。運ばれていく間に、いよいよ不安が襲ってきた。本当に手術に踏み切って良かったのか。自分が思い描く健康な自分に戻れるのか。

手術後

  • 手術が終わり、麻酔が切れてきた。旦那様の声、看護師さんの声が聞こえてくる。「痛い」と答えることしかできない。痛みからの逃避。白い、真っ白い世界と現実の世界との行き来が続く。「ああ、これ、向こう側ってやつだ。戻れないかも」「このままがいいなあ」。何層にもなった白い世界と痛い現実との間を何度も行ったり来たりして、また眠りに落ちての繰り返し。
  • しっかり意識が戻った時、ただただ痛みを逃したくて、「横向きになりたい」といったことまでは覚えている。あとから看護師さんに聞くと、あの白い世界に長くいた方が痛みを感じなくて予後がいいのだそうだ。向こう側(天国)じゃあなかった…。

長い夜

  • 次に目覚めたとき、もう、旦那様はいなかった。主治医が、「大丈夫ですよ、時間かかったけど成功ですからね」と言ってくれた。「向きを変えるときは看護師に行ってくださいね。ひねるのが一番いけないから、やってもらうんですよ」はい。守ります。
  • うがい1回。「上手」看護師さんがほめてくれる。練習した甲斐があったよね。「用意したゼリー飲みますか。」「やめときます。良からぬことを招きそうだから。」
  • 窓際に私の相棒、コルセットが置いてある。夜景がカーテン越しに見える。看護師さんたちの雑談が聞こえる。時々、ナースコールが鳴って、看護師さんが出ていく。ICUって言ったけど、要はナースステーションの隣。静かに寝かしてくれないのかなあと、愚痴っぽくなった。
  • 腰が痛いから横向きがいいのだけれど、体の向きが勝手にあお向けに近づいていく。何かがまとわりすいて、動けない。それは和式の寝間着だったり、柔らかいクッションだったり、布団本体から離れてしまうシーツだったり…。痛みの正体は、傷口よりも動かさない(動けない)コリなんだって分かったのは、朝食が運ばれてくる頃だった。

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